最高裁判所第一小法廷 平成10年(あ)717号 決定 1998年11月30日
本籍・住居
福岡県嘉穂郡頴田町大字鹿毛馬一一一一番地
会社役員
梅田親義
昭和一一年三月二五日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成一〇年五月二五日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人桑原昭煕の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、実質は事実誤認の主張であり、その余は、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 大出峻郎 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄)
平成一〇年(あ)第七一七号
上告趣意書
被告人 梅田親義
右の者に対する所得税法違反被告事件についての上告の理由は左記のとおりである。
平成一〇年八月五日
弁護人 桑原昭煕
最高裁判所第一小法廷 御中
記
第一点 原判決は、被告人について、訴外梅田勝成(以下勝成という。)との共謀共同正犯の認定をしているが、右判断は以下述べるとおり最高裁の判例に反している。
本件は、証拠関係によると、石材業を営む被告人が、平成三年度の所得税の申告について、経理事務を担当している長男勝成に対し、平成三年十二月三一日「今度の税金申告の時には、前年の所得額を少し上回るくらいの所得額で申告しておいてくれ。」と指示し、(後記のとおり、一審判決は右のとおり「今度の税金申告の時には」の文言を認定しているのに、原審は右の文言を何故か認定していない。)平成四年三月勝成は、右指示に従い、売上金の一部を抜くやり方で事業所得額を少なくし、平成二年度の事業所得が六二〇万円であったところから、平成三年度分の事業所得額を一〇〇〇万円くらいになるように操作して申告し、ほ脱行為をなした事実が認められる。しかし、平成三年度のほ脱については起訴の対象となっていない。本件で起訴されたのは、平成四年度から平成六年度までの所得税のほ脱である。証拠関係によると、平成四年度から同六年度分の所得税の申告について、申告の手続きを行ったのは勝成であって、被告人は何ら指示も関与もしていないことが疑いなく認められる。
原判決は、(1)、被告人が前記のように、平成三年一二月三一日勝成に対し、前年分を少し上回るくらいの事業所得にして、ほ脱の指示をし、勝成はこれに従い過少申告をしたこと。(2)、被告人は右指示をなした際、平成四年度分以降も過少申告するつもりであり、勝成も被告人の右ほ脱の意図のあることを理解し、従前同様過少申告し、ほ脱を続けてくれるものと考えていたこと。(3)、勝成は被告人からほ脱の指示を受けた後、被告人からそれを改めるようにとの指示も受けていないうえ、平成四年から同六年分の所得税確定申告について、税務署に当該申告書を提出する際に、被告人から異議を述べられなかったことから、被告人の当初の指示はそのまま継続しているものと了解し、本件ほ脱を続けたこと。(4)、被告人は平成四年から同六年の自己の所得額の詳細は知らなかったものの、勝成から、右各年度の被告人の所得税確定申告に際し、その都度、申告手続き前に、当該年度の申告事業所得額及び申告所得税額の概算額の説明を受けていたが、ほ脱を承知しながら異議を言っていないこと。以上の事実を認定し、所得税のほ脱について、勝成との意思の連絡があったことが認められるとして共謀の成立を認めている。
最高裁の判例によると、いわゆる共謀共同正犯が成立するには、「二人以上の者が特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互に他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をなし、よって犯罪を実行した事実が存しなければならない。」(昭和三三年五月二八日大法廷判決、集一二巻八号一七一八頁)とされている。そして、右判例によると、共謀共同正犯の成立のためには、数人で犯罪の共謀または謀議がなされたこと、その中の或る者が犯罪を実行したこと、その犯罪の実行は右共謀または謀議に基づくものが必要であり、特に、右判例の判示する共謀または謀議の意義・内容は、右判例の解説(最高裁判例解説昭和三三年度、最高裁調査官室編四〇五頁)によると、単なる「意思の連絡」または「共同犯行の認識とは異なるものであり、二人以上の者が各自現実に実行行為の全部又は一部を行った場合の本来の共同正犯(実行共同正犯)が成立するためには、二人以上の者の間に「意思の連絡」即ち「共同犯行の認識」があれば足り、いわゆる「通謀」又は「謀議」の成立することを要しないとするのが通説、判例である。しかし実行行為を担当しない共同者をも共同正犯と認める共謀共同正犯が成立するためには、必ず右のような内容の「謀議」又は「通謀」が共同者相互間に成立したことを要することを右大法廷判決は判示している、とされる。そして、右解説は、共謀共同正犯も共同正犯であるから、共同者間に共同正犯に必要な主観的要件である「意思の連絡」又は「共同犯行の認識」のあることを要するのであるが、右のような「謀議」又は「通謀」があれば、当然「意思の連絡」又は「共同犯行の認識」はあるであろうが、「意思の連絡」「共同犯行の認識」だけでは、「謀議」又は「通謀」があったとは言えない。従って、共謀共同正犯において「共謀して」という場合には、「意思の連絡」又は「共同犯行の認識」があるということとは同意義ではない。これより一歩進んで二人以上の間に右判示のような内容の「謀議」又は「通謀」が存することを要するのである。従って「謀議」又は「通謀」は単なる主観的要件に止まるものではなく、実行共同正犯における客観的要件である「二人以上の者の実行行為の分担」にも比すべきものである。と解されている。このように、共謀共同正犯における「共謀」は単なる「意思の連絡」をもって足れりとするものでないことは、右解説のみならず、龍岡資久氏は、右大法廷判決をふまえ、「共同犯行の認識」とか「意思の連絡」とかいう場合には、その意味は可成り広くなってくるが、実行共同正犯の場合は格別、少なくとも、共謀共同正犯における共謀または謀議は、決して、そんなに広いものであってはならない筈である。その共謀または謀議は、必ずや、共謀共同正犯を実行共同正犯にまで高めるような程度のものでなければならない。(現代の共犯理論、齋藤金作博士還暦祝賀登載、有斐閣発行「共謀共同正犯に関する諸問題」二一九頁)と共謀共同正犯における「共謀」の意義、内容について理論を展開している。
そこで、右大法廷の判示に従って原審が認定した共謀の内容について検討すると、平成三年度の所得税については、「今度の税金申告の時には、前年分を少し上回るくらいの事業所得にして申告するようほ脱の指示を行い、勝成はその指示に従って、過少申告をしているのであるから、まさに共謀共同正犯の主観的成立要件である共謀ありと言わざるを得ない。
しかし、原審が「共謀」を認定した前記(2)の被告人が、勝成において、今後も従前通り、ほ脱を続けてくれるものと考えていたこと。この認定は、平成三年度の所得税の申告に関する指示が、「今度の税金申告の時には」との文言の「今度の」との言葉の意味内容からすれば、その時の被告人の意思は、あくまで、平成三年度分の所得税の申告についてのみであり、これから、「以後も勝成がほ脱を続けてくれるものと考えた。」ということは論理の矛盾であり、加えて、翌年以降の収入が未確定の前年の段階において、翌年以降の所得税の申告をどう処理するかは、考えの及ぶ範囲外のことで、そのようなことを考える筈はない。確かに、被告人の検面調書には、その旨の供述部分があるが、被告人は、公判廷で、「かかる供述をしたことはない。検察官が勝手に書いたもので、調書に署名しないと、検察官は、息子を起訴してもいいよと言うので、息子を起訴させるわけにはいかないので署名した。」と供述しており、以上の事実に鑑みると、右弁解は十分理解できるものであって、被告人の右公判廷の供述が真実を語っていると考えられること。
次に、同(3)及び(4)の、被告人がほ脱を改めるよう指示をせず、平成四年から同六年分の所得税確定申告について異議を述べていないことは判示のとおりであるが、異議を述べていないことは、その事実を認めたことにはなるが、犯罪行為であるほ脱の操作は、既に勝成によって完成された後のことで、犯罪の共謀は在り得ず、如何なる意味においても、これをもって共謀と評価する資料の一つとすることはできない。この事実は、むしろ所得税法二四四条の問題であって、本件起訴にかかる同法二三八条の構成要件とは別異の事実である。「改めるようにとの指示もない。」ことをもって共謀認定の徴表としているが、(2)で検討したとおり、平成三年一二月三一日の被告人のほ脱の指示は、「今年の申告」と「今年」という限定した指示があった以上、翌年これを改めるよう指示がないのは当然であり、共謀認定の徴表となり得るものではない。
以上原審が「共謀あり」と認定した理由について逐次検討してきたとおり、その何れも共謀共同正犯における右大法廷の判示する共謀の要件を満たすものではない。仮に、右(2)ないし(4)掲記の各事実が認められたとしても、右各事実は、大法廷が判示する「各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議」のあった事実を証するに足りるものではない。
ほ脱行為は、申告書の作成と申告行為を要件とするものであるが、本件における被告人の所得税確定申告の手続は、証拠関係によると、勝成において、被告人の関与なしに、売上の一部を抜いた元帳を作成し、税理士に持参し、税理士が元帳に基づいて、決算書と申告書を作成し、税務署に提出する方法で行われており、被告人は、勝成が税理士から受取った申告書控を受取った段階で、勝成から申告した所得額の報告を受けている。このように、被告人が所得税の確定申告にかかわったのは右報告を受けただけであり、原審が認定した被告人及び勝成の意思が、そのようなものであったとしても、被告人及び勝成が、互にそのように考えたというに止まり、相互に意思を確認したものでも、話し合ったものではなく、右大法廷の言う共謀とは到底理解することはできない。そうすると、原審が共謀共同正犯とした認定は、大法廷の判示に違反して破棄されるべきである。
第二点 訴因変更の違法性について
訴因変更の経過は、原判決一の1記載のとおりであるが、一審において、起訴状朗読ののち、弁護人から、「本件は共犯としての起訴か単独犯としての起訴か。」との釈明に対し、検察官は、単独犯としての起訴である。」と釈明し、冒頭陳述においても、冒頭陳述要旨の第二の三の「共謀状況」との見出しを、「脱税指示状況」と訂正のうえ、冒頭陳述を行った。右の事実から明らかなとおり、検察官は、本件を被告人の単独犯として起訴し、単独犯として審理を求めたことは明らかである。
言うまでもなく「訴因」は、審理の対象であって、単に被告人に、その防禦のため警告を与えるだけのものではなく(平野龍一刑事訴訟法有斐閣法律学全集四三巻一三二頁)、検察官において、犯罪事実につき法律的に構成した主張でもある。勿論訴訟手続は、審理・証拠調べの経過につれ流動するものであり、その結果、検察官において、当初に構成した主張を変更すべき、すなわち、訴因の変更の必要性が生ずることを否定するものではない。
しかしながら、刑訴法は、憲法三一条法定手続の保障の規定をうけ、刑訴法運用の基本理念として、一条及び規則一条を設けており、訴因の変更といえども、被告人の防禦に影響がなければ変更は自由であるというものではなく、誠実にこれを行使し、濫用してはならず、濫用によって、基本的人権の保障を侵害してはならない。本件において、検察官は、第三回公判において、「共謀」に訴因変更の請求を行い、そこで、弁護人は、これに対し、刑訴法一条・規則一条二項に違反するとの意見を述べたが、原審は、この訴因変更を許可する決定をなしたので、弁護人は、直ちに刑訴法三〇九条の異議を申し立てたが却下された。右の経過に明らかなように、検察官は、公判廷において証拠調べを請求した証拠に基づいて本件起訴状を作成し、起訴したもので、訴因変更請求の時点まで、右証拠以外には、何ら新たな立証はなされていない。してみると、検察官は、右証拠に基づいて、被告人の本件所為は、単独犯であるとの判断により起訴し、それ故、検察官は、第一回公判において、弁護人の釈明に対し、本件は単独犯としての起訴であると明確に釈明をなしたものである。しかるに、証拠関係においては、起訴時と同一で、訴訟状態にも何ら変化がなく、訴因を変更すべき場合に該当しないにも拘わらず、「単独犯」であるとの前言を翻し、「共謀」に訴因を変更せんとするのは、禁反言、信義則に違反し、誠実な権利の行使とは言えず、権利の濫用であり、右規則に違反するものである。
本件訴因変更請求は、以上のとおり、刑訴法並びに規則に違反しているものである。しかるに、原審は、「審理手続きの進行において検察官の対応に適切を欠く面のあったことは否めないが」と指摘するに止まり、違法ではないと判断しているのは、違法な訴因変更を容認したもので、刑訴法一条並びに規則一条二項に違反した違法な判断で、判決に影響を及ぼす法令の違反があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。
よって、原判決の破棄を求めるものである。